けっしてけっして照りつけてはいないのたが、
燦々(さんさん)たる陽の中に輝く満開の桜の淡紅色。
それとコントラストをなす青い、しかしどことなく淡い空の色。
幽(かす)かに吹き抜ける風。
どこかはわからないか、幼い私は新調の服を着てそこに居る。
この曲を聴き歌う時、私の心はいつもこのような情景の中へ帰って行く。
歌の中の花はたしかに隅田川の花なのたが、その花は、今はもう広く日本のあちこちの花であり、
日本人一人ひとりの心のふる里の花となってしまっているのではないだろうか。
この曲は私たち共通の郷愁。
いいかえれば、この曲そのものが、私たちにとってはひとつの花なのである。
それは、幼いころから慣れ親しんで来たからばかりではない。
時代を越えて語りかけるこの曲本来の生命力はもちろんのこと、
それに耐えうる程しっかりとこの曲が作られているということにほかならない。
滝廉太郎はこの曲を単なる歌ではなく歌曲として作曲した。
「花」はわが国初の歌曲であり合唱曲なのである。
洋楽に関してまだわからないことばかりであった時代に、このような見事な曲が生まれたのは、
彼の天分がいかに的確に洋楽を把握していたかを物語る。
簡潔で美しい旋律、自然な和声、合唱体や伴奏の書法など、
どれをとっても立派な完成度に達しているのである。
現在でもなおトンチンカンなことが多いというのに・・・
この曲を発表して直後、彼はライプチヒヘ留学した。しかし病を得て、
志なかばで傷心のうちに帰国しなければならなかった。
その思いを「恨み」というピアノ曲に託して、間もなく死んでしまったのである。
それはまた、留学して知った洋楽の伝統の大きさと、
彼の天才をもってしても容易にはふさぎきれないであろう、
わが国の現状とのギャップに対する思いでもあったにちがいない。
その恨みは今なお十分に晴らされたとは言えないかもしれない。
が、彼の花は、今日もこうして美しく気高く咲き続けている。
野田暉行
1983年3月27日東京新聞 日曜版
名曲のふるさと「隅田川」 花-滝廉太郎
日本人の心に咲く郷愁の花より
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